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2011年 04月 25日

ブログをサボっているいる間、実は少しは勉強しました。
平成21年に、愛玩動物飼養管理士1級の試験を受けました。
発表は平成22年だったので、合格したらその報告を機にブログを再開しようと思っていたのに、その時はその時で手がつかず、あれよあれよともう23年です。

勉強(教本を読んだだけですが)していく過程で、たくさんの面白い、興味深い項目がありました。
その中でも、深く考えさせられたのが、

「産業(畜産)動物に対する動物愛護」でした。

人間は他の生物の命の犠牲なくては生きていくことができない。

毎日食べているのに、忘れいている、いや忘れようとしていること。

管理者及び飼養者は、産業動物の生理、生態、習性等を理解し、かつ、愛情をもって飼養するように努めるとともに、責任をもってこれを保管し、産業動物による人の生命、身体又は財産に対する侵害及び人の生活環境の汚損を防止するように努めること。
(産業動物の飼養及び保管に関する基準 第1 一般原則)


こんな基準が日本にもあるんですよね。

人間が生きていくための手段として動物の命を利用するからには、それなりの敬意をはらうべきである。


イギリスの家畜福祉協議会が「5つの自由」というものを提唱しています。

   1.飢えと渇きからの自由
   2.肉体的苦痛と不快感の自由
   3.障害や疾病からの自由
   4.恐れと不安からの自由
   5.基本的な行動様式に従う自由


命を頂いているのだから、生きている間は苦しめてはいけない。

原発事故により強制退避させらた地域に残された牛達が衰弱死、餓死している様子がテレビで報道された。
否応なく急に避難させられたのだから、どうしようもなかったのでしょう。

でもどんな理由があろうと、衰弱して餓死するまで放っておくなんて許されることじゃない。
否応なく避難せざるを得なかった飼養者(辛い状況は重々承知しており、そのご苦悩は想像すらできないのかもしれません。)、酪農組合、地元行政、政府、仕方ないですませないで、せめて安楽死させて欲しかった。

「かわいそうなぞう」
ずっと、あの時代だから、かわいそうなぞうを救うことができなかった。
あんな時代だから誰も何も言うことができなかった。
自分の時代とは違うと思ってきました。
でも、同じ。
今の時代も、ちっとも変わっていない。

上野のパンダも被災地の牛も同じ命、でも同じ価値じゃないんだよね、当然。
それでも苦しみに思いやって欲しい。
気持ちがあっても、気持ちだけではどうしようもないのも判ってます。
でもやはりおかしいことはおかしいと、言わなくてはいけない。
それがせめてもの牛達、豚達、鶏達、犠牲になった生き物への哀悼の意です。

by pareana-club | 2011-04-25 00:02

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