人気ブログランキング | 話題のタグを見る

言葉変換『もんじろう』用アイコン 犬にどうあって欲しいか 1   

2006年 05月 13日

昨日は沢山のコメントを有り難うございます。
今日は一つずつのお返事は失礼させていただいて、こちらに感じたことを書かせていただこうと思います。

まず、ドックランで自分の犬がどう振る舞って欲しいかというのは、

3doglifeさんのコメント
>そうかな?実は欧州の公園でノーリードの犬は他人や他犬に無関心だって知ってま
>す?
>そして、北米ではほとんど犬を連れて入れるレストランやカフェなどないこと。
>私的には、20年前からドッグランで若い犬のじゃれあい&犬はヤンチャなもの
>=北米派
>人間とともに相棒として暮らす、レジャーも共にする訓育できるもの=欧州
>で、基本的な犬の立場や考え方が全く違うものだと思っています。
を頂き、

ドックランに限らず、自分の犬が自分と社会の中で、どうあって欲しいか、という命題であると言うことに気づかされました。

常にリューとの関係で、迷っているのが、
飼い主一途、飼い主の瞳だけ見ている犬は、犬として幸せなのだろうか、ということです。

テリー・ライアン先生の講習会で、デモンストレーションしてくれた犬達が、飼い主であるインストラクターを一心に見つめる瞳の一途さに、犬と人間との信頼関係のあり方の一つを知ることが出来ました。
それは、決して力で押さえつけられた服従ではなく、「心酔」、「親愛」というものでした。

そしてリューとの関係もそうありたいと願うようになったのですが、実際、犬同士が楽しく遊んでいるドックランの中で、他の犬との関係がうまくできない、社会化の不十分なリューがいる。

ゆりさんのコメント
>多少嫌がったりガウガウしたとしても『犬同士で学ぶのよ』と言ってくださる方
やはり、犬同士のコミュニケーションが重要なのだろうとの思い。

不十分ながらも飼い主の私や家族の「オイデ」「ツイテ」等には応えることが出来たリューに対して、でもこれでいいのかと迷い。
また他の犬ができるのに何故リューはできないのだろうという、我が子にもやってしまった「隣の子」との比較という落とし穴にはまってしまったわけです。

kameさんのコメント
>唯一、ドックランで、わんら見てて思うのは
>どの子も実は他のわんこや仲間内でさえもなんだけど
>実は、飼い主と遊ぶのが、1番楽しいみたい
>たとえ、それが、訓練であろうとも・・・
で思い出しました。

一匹では寂しいだろうから、もう一匹を飼う。
でも犬は多数の中での、多対飼い主の関係ではなく、一対飼い主の関係を望む。
結局多頭飼したにも関わらず、犬同士の関係はそれほどの意味はなかったというお話です。
(もちろん、これが全ての多頭飼いに通じるとはいいません)、

ドックランで犬を遊ばせるというテーマの中に、様々な犬との関係の小題が現れてしまったようです。
いろいろなことを、一つにくくって語るのは難しいのでこれから後も、判らないなりに少しずつ考えていきたいと思います。

ぢゃくさんのコメント
>いいとこどりしちゃうと、わんは困惑するでしょうね。ということで、まず、おいらが指針を>きっちりと決めることが大事だなって思いました。
そうなんですよね。ある意味正反対のことを望んでいたのですよね。
自分の犬に社会の中で、また自分との関係の中でどうあって欲しいかをまずキッチリしなければだめですね。

皆さんは自分と犬、社会と犬等どう思っていますか?

by pareana-club | 2006-05-13 23:54 | 犬とのつきあい

<< スーパー ナニー 海とのふれあい広場 5月6日の... >>